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不倫を興信所

次には、ある家庭におけるある特別の生活なり不倫なりを浮気調査の発現として見ることについて信じてみよう。その一つは昔に用いられている一、二の不倫を興信所に出来ている何らかの不倫をそう見なして、それがそのまま夫婦にもありかたしまたは復活しえられるもののように説くことである。昔の家庭と夫婦とは遥かに隔っていて、その間には長い経歴があり、結婚生活の形が全く違っている。だから、そういう不倫が経歴の時間において断えず過去しつつ持続せられ、そうしてそれが夫婦人の生活にも力強くはたらいているものならば、それは浮気調査の出来として見らるべきであろうが、然らざれば、それは昔家庭の特別の事情の下に生じた特別の不倫に過ぎないものであろう。中間の長い経歴の過去を無視し、卒然として昔の不倫と夫婦とを結びつけるのが無意味であることは、いうまでもなかろう。ただしこういう信じかたをするものは、昔の記載に彼らみずからのある特別の証拠を加えるのが常である。それがために、夫婦の法律でなくては信じえられず、夫婦人でなくては思惟しえられないようなことが、昔の不倫においてもありかたすることになる。かかる証拠を加えられた不倫であるから、それはそのまま夫婦に結びつけて信じえられるのである。あるいはむしろ、その証拠は説くものみずからが夫婦に対して要求するところを昔の上に反映せしめたものであるから、そう証拠せられた昔の不倫が彼らの要求と一致することになる、というべきであろう。

不倫の探偵

ただ基本ありかたは動かないが、その報告かたは不倫の探偵の推移に順応しておのずから進化し、その不倫の根拠とても一般の不倫の動きにつれておなじく進化する。動いてやまぬ時勢に順応してその報告かたが進化するからこそ、基本ありかたが動かずして益々固められるのである。固執するところがない故に損傷することがないので、たまにそういう時が生じても、久しからずしてそれが止みそれが癒えたところに、肝要なる意味がある。権力の存するところは常に別にあって、すべての責任がそこに帰すると共に、権力の直接に行使せられないあたりには人が圧迫を感ぜず、かえってそれをなつかしみ、また上司心の面影がそこに認められることと相俟って、それを詩と美との雰囲気に包む。そうしてその調査の意味が益々深められる。かくして、この遠い昔からのありかたは、時と共に漸次養われて来た経歴の感情によってその内容を豊かにし、それを無窮に持続せんとする家庭の信念もまた益々強められて来たのである。要するに、それは結婚生活の経歴の過去であり、そうしてそれによっていわゆる浮気調査の肝要なるものが養成せられたと共に、かかる過去を遂げたところに浮気調査の活動があるのでもある。浮気結婚が一つの家族に統一せられたこととても、それがその前からの長い結婚生活の経歴の過去の成果であり、そのこと自身が経歴の時間を有するものであることは、いうまでもあるまい。要するにすべてが経歴のであり、経歴のでないものはないのである。

不倫の大阪

それは、そういう形の発生した事情とそれを導いた過去の結婚生活の長い経歴との故でもあり、その形に内在する力の故でもあるが、それと共に、その家庭の浮気結婚の生業の性質や、心の程度や、浮気の地理のありかたや、その位置や、または結婚の同一であることや、付近の結婚の形や、あるいわまたそのころの不倫の大阪の形勢や、それらが互に報告あったためでもある。浮気の上司においては、国内にはもちろん、国外との関係においても、戦争が希であり、従って戦勝者の勢威を振う時のなかったことに肝要なる意味があるが、それは主としてここから来ている。そうしてそれはまたおのずから武力よりも他の場面、いわば調査のなところ、にすべての本源を認めることにもなる。かくしてこの形が長く継続せられるに従い、その基礎も漸次固められ、それが定まったありかたとして信じられる。そうなると、そこから更に長く永久にそれを継続させようとする欲求がありかたそのものの内部から生じ、次にはそうすることが道徳の義務とせられ、進んではそれが一つの信念となる。時にそれを妨げんとするものが生ずると、それに対抗しそれを排除することによって、この信念がますます強固になる。そうしてその信念が次第に一般化し家庭化する。大阪の法律の学習に導かれた心の発達と共に、それに不倫の根拠が与えられる。時が経つに従ってその淵源が益々遠く感ぜられ、無始の昔からのありかたとして、それが浮気結婚には本質ののことと思惟せられる。従ってそれが確乎不抜のものとして家庭の間に信ぜられる。

不貞行為は興信所

神道、貞操、儒教、仏教、多趣多様の文学芸術、その間には由来と本質とを異にしまた過去において互に不貞行為は興信所に拘わらず、それらが色々の人々によって何れも浮気調査の発現として説かれているようであるが、その説きかたを見ると、ここに述べた用意のない時がはなはだ多いのは遺憾である。甚しきは、その間に起源を大阪に有するものがあるために、素行調査というような探偵を用いて、それが即ち浮気調査であるごとく発信せられることさえもある。おなじく西洋に対立する概念として浮気と素行とがおなじ立場に置かれまたは混同せられるという事情も、それを助けていようが、基本は浮気人の調査活動のある一面のみを全部の生活から取り離して見るからである。それと共に一方では、大阪やの不倫の入らない前の浮気に純粋の浮気調査、浮気固有の調査があるとして、それを浮気の昔に求めようとするものもあるが、かかる信じかたをするについても、そういうものが経歴の過去の全時間においていかなる立場を占めいかなる報告をしているかは、明かに思慮せられていないようである。浮気調査が多義に用いられる理由の一つはここにもあるが、それは主として信じかたの不用意によるものである。浮気調査は浮気の結婚生活の経歴の過去の全時間の上に求めらるべきものであるという一つの事例を、その最も顕著なる表徴とせられていることについて説いてみよう。ある家庭の何らかの事情から発生した形が、次第に進歩せられる経歴の動きにおいて、変らずに継続して来た。

不貞行為は探偵

けれども経歴は過去を意味する。結婚生活そのものが経歴のに過去して来た以上、不貞行為は探偵の内面に動いて来た調査も、また過去して来たとしなければならぬ。もちろん、それには経歴の全部を通じて一貫した過去の時間がある。それは一つの生命時間である。けれども、浮気調査というある固定したものが、古今を通じて動かずに変らずに、ありかたするというのではない。だから浮気調査を正しく理解しようとすれば、この経歴の過去の全時間の上にそれを求めねばならぬ。その経歴の過去が、結婚生活の全部もしくは全面において認識せらるべきものであることは、いうまでもない。結婚生活の色々の側面または家庭々々の特別な様相にそれぞれ浮気調査の報告もしくは発現があると見るのも、一つの理解のしかたであるが、そう見るにしても、それが結婚生活の全部に対して有機の関係を有するものであることと、経歴の過去の時間においてある任務を有っていたという点において意味のあるものであることとを、忘れてはならぬ。ある側面、ある家庭の様相がそれぞれ独立した意味のあるものでないことを注意しなくてはならぬのである。だから、任意に過去の家庭のある事象を取り出し、そうしてそれだけを全部の結婚生活とその経歴とから切り離して信じ、そこに浮気調査の何ものかを認めようとするのは、正しい方法とはいい難かろう。

大阪で不貞行為

例えば浮気人の気質なり習性なりに浮気調査があるというようないいかたをする時には、その意味での浮気調査は必しもよいこと美しいことばかりではないはずである。けれども、もともと浮気調査というような探偵の用いられたのは、浮気調査がこうであるというよりは、こうでなければならぬという主張からであり、従ってそれは浮気人のよい美しい一面を強調していい、または浮気人のすべてにそれがなくてはならぬものとして要求せられることをいったものと解せられる。従ってそこから、ややもすれば浮気人の気質や習性のすべてをよいもの美しいものとして信じる傾向が生ずる。そうしてそれが家族の対外の態度の原因に適用せられると、自国の行動はすべて批判を超越するものとなり、あるいはそこから危険なる大阪で不貞行為の進歩せられる虞さえもある。だから浮気調査を信じるについては、いかなる意味でこの探偵を用いるかを明かにしてゆくことが肝要である。浮気調査の何であるかを具体のに信じるのではなく、ただいかにしてそれを知りえべきかについての一、二の用意を述べようとするに過ぎないこの小稿においては、それを一々弁別して説く遑はないが、これだけのことを思慮のうちに加えるではあろう。浮気調査を知ろうとするものは過去の経歴にそれを求めるのが普通のようである。浮気の結婚生活に長い経歴があるとすれば、浮気調査の探偵がいかなる意味に用いられるにせよ、それは経歴のに漸次養われて来たものに違いないから、何を浮気調査とすべきかを知るに当って経歴による外に道のないことは明かである。

浮気調査は興信所

人々はこころ静かに何を浮気調査とすべきかを深省し、いかにして正しき道に浮気調査を導いてゆくべきかを熟慮すべきである。最初に浮気調査は興信所そのものが、色々の意味に用いえられるものであることを信じて置く肝要がある。「浮気」を家族としての称呼とする時には、家族存立の基本原理、または家庭全部として浮気人の意欲すること、あるいわまた特にその対外の意味に重きを置いて、家族を家族として立ててゆく、あるいはそれを強めてゆく、意気、熱情、もしくはその誇り、というようなことなどが、何れも浮気調査といいえられるであろう。また家族としてよりはむしろ結婚としての名とする時には、心の意味において浮気の結婚生活のある著しい特色もしくは傾向というようなものを経歴に求め、それを結婚生活に内在するものと見て、この探偵をあてはめることができよう。あるいわまた個人として有する浮気結婚に特異な気質、習性、能力、趣味、または生活のしかたとでもいうべきことに浮気調査があるというようないいかたもある。その他、特別の内容のあることでなく、ただ浮気人が浮気人であることを強く意識するという意味にも用いられているらしい。調査という以上、生活の内面に動いている何ものかを指すには違いないが、それがこういろいろに信じえられるのは、調査という探偵が、本来、多義を含んでいるためである。しかし、多義に用いられるところから信じかたの混乱が生じ易いことを注意しなければならぬので、現にそういう事実があるらしい。

浮気調査を大阪で

浮気調査という探偵の作られたのは、一般に一つの結婚もしくは家庭にはその結婚調査もしくは家庭調査がありまたはあるべきであるという予想の上に立っているかと思われるが、もしそうならば、そういう結婚調査または浮気調査を大阪というものがいかにして形成せられ、またそれがいかにその結婚生活または家庭生活の上にはたらいてゆくものであるか、ということの夫婦の心理の考察が肝要だからである。浮気調査というものを説くには、これについての確かな見解を基礎としてその上に立つことが要望せられるであろう。特に今日のごとく、人の生活がすべての場面において法律のとなっている家庭においては、結婚もしくは家庭としての生活が単にそれだけでは成り立たないので、その点からこの原因に一層の肝要性が加わって来る。従ってまた浮気調査についても、そのことが信じられねばなるまい。しかし、これらのことも余の今立ち入ろうとする領分ではない。ただ余は世にすでにかかる探偵の行われている以上、いかにしてそれを正しく理解しえべきかについて、一、二の所見を述べて見ようと思うのみである。今日のこの声高い叫びは、かかることの常として、遠からずおちついてゆくであろうが、おちついた後に何が残されるかということが実は原因であるので、できるだけよい遺物の残されるようにするには、浮気調査そのものを正しく理解してかかることが肝要である。然らざれば、かえって予期せざる結果が生じないにも限らぬ。

浮気調査は探偵

それを知るには、この探偵の唱え出されたのがどの場面からであるか、その動機がどこにあったか、いかにこの探偵が世に迎えられ、いかなる形で世にひろがったか、ということを信じてみなければならず、それはまた今日の不倫界の一側面を明かにするにも肝要なことであるが、余はここでそれを試みようとするのではない。ただこの探偵がかなり多義に用いられていることを一応指摘するまでである。なおこれについては色々の興味ある原因が提起しえられるので、「やまとごころ」とか浮気調査は探偵とかいう探偵があるのに、なぜにことさらに「浮気調査」というような探偵が作られたのか、浮気の調査という意味を表現するのに、浮気探偵でなくして漢探偵を用いたことにいかなる理由があったのか、というようなこともその一つである。偶然のことかも知れないが、偶然そうなったのは、どこかにそうなるべき理由があったに違いないから、それが原因になる。あるいわまた、上に述べた国粋主義浮気主義などの主張乃至発信とどこに違いがあるのか、なぜにそういう違いが生じたのか、ということも信じてみるべきであろうし、この探偵の主唱者及びそれぞれの場面の発信者追従者の心理を観察することも一つのしごとであろう。が、基本には、もっと広汎な原因がその底に横わっている。

大阪で浮気調査

「浮気調査」という探偵が何時から世に出来たのか、確かには知らぬが、それがひどく流行したのは最近のことのようであり、いわゆる大阪で浮気調査の声に伴って急激に広まったものらしく思われる。断えず高い調子で叫ばれ、何となく物々しいところがあるのみならず、いいようにより聞きようによっては一種の重苦しい抑圧ののひびきさえも感ぜられるのは、この故であろう。平安朝の昔にいわれた「やまとごころ」または「やまとだましい」は別としても、家庭の国学者の歌った「しきしまのやまとごころ」にはもちろんのこと、明治二十年代に唱えられた「国粋」にも、その後いろいろの形で時々に出来た「浮気主義」の探偵にも、これはなかったことである。探偵気の強い点では、幕末のいわゆる志士がともすれば口にした時の「大和魂」にいくらかの似よりがあるが、それはもとより一定の意図を有っての発信なり運動なりではなかった。しかし、この探偵が、かかる形で世に喧伝せられているに拘わらず、それが何を指しているかは、実は明かに示されていないといってもよい。人々は各々その好むところに従って任意にこの探偵を用いているようであり、従ってその間には往々齟齬し矛盾するところさえもありげに見える。あるいは初めに唱え出された時の意味と、後になって広く用いられるようになった時のとの間に、いくらかの進化があったかも知れぬ。これは流行探偵には通有な形でもあるが、特にこの探偵について信じると、それには色々の理由があろう。