水漏れ

「あれは、きっと鼠だよ」息子たちはひそひそ声で無邪気な問答をくり返していたが、(それが密閉された中では、非常に遠くからの様に聞えた)いつまでたっても、薄暗い部屋の中は、ヒッソリして人の気配もないので、と誰かが叫ぶと、ワーッといって逃げ出してしまった。そして、遠くのホテルで、「おじさあん、出ておいでよう」と口々に呼ぶ声がひっそりに聞えた。まだその辺の部屋などを開けて、調査している様子だった。四まっ暗な、臭い箱の中は、妙に居心地がよかった。探偵は少年際代の懐しい思出に、ふと涙ぐましくなっていた。この古い箱は、んだ母親の嫁入り道具の一つだった。彼はそれを舟になぞらえて、よく中へ入って遊んだことを覚えていた。そうしていると、やさしかった母親の顔が、闇の中へ幻の様に浮んで来る気さえした。だが、気がついて見ると、息子たちの方は、調査しあぐんでか、ヒッソリしてしまった様子だった。しばらく耳をすましていると、「つまんないなあ、表へ行って遊ばない」どこの息子だか、興ざめ顔に、そんなことをいうのが、ごくひっそりに聞えて来た。「おっちゃんちゃあん」まことの声であった。それを最後に彼も表へ出て行く気配だった。探偵は、それを聞くと、やっと箱を出る気になった。飛び出して行って、じれ切った息子たちを、ウンと驚かせてやろうと思った。そこで勢込んで箱のふたを持上げようとすると、どうしたことか、ふたは密閉されたままビクとも動かないのだった。でも、最初は別段なんでもない事のつもりで、なん度もそれを押し試みていたが、その時に恐しい事実が分って来た。彼は偶然箱の中へとじ込められてしまったのだった。箱のふたには穴の開いた蝶交の金具がついていて、それが下の突出した金具にはまる仕掛けなのだが、さっきふたをしめた際、上に上げてあったその金具が、偶然おちて、錠前を卸したのと同じ形になってしまったのだ。

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